富樫勇樹のNBA再挑戦はあるのか?
「B.LEAGUE AWARD SHOW 2018-19」が令和元年5月15日、東京・六本木ヒルズで行われ、今シーズンのMVPには準優勝した千葉ジェッツふなばしの富樫勇樹(25)が選出されました。
富樫勇樹はポイントガードとしてレギュラーシーズン全60試合に出場し、チーム2位の838得点、リーグ3位の328アシストを獲得しました。
このように誰が見ても日本を代表する選手と思える選手に成長した訳ですが、今後天下のNBA再挑戦の可能性はあるのか探っていこうと思います。
富樫勇樹のプロフィール
富樫勇樹(とがし ゆうき)
誕生日 1993年7月30日(25歳)
出身国 日本
出身地 新潟県新発田市
出身高校 モントローズ・クリスチャン高校
現在Bリーグで大活躍中の富樫選手はどのようなバスケット人生を歩んできたのか?
過去を探っていこうと思います。
1993年7月30日 新潟県新発田市で生まれ、小学1年生とかなり早い時期からミニバスケットボールを始めたそうです。
中学に進み、新発田市立本丸中学校では監督としてチームを率いる父親の指導のもと、3年時になんと全国大会で優勝しました。
また、2年時と3年時にはそれぞれ15歳以下、16歳以下の日本代表に選抜されるほどの選手に!
中学卒業を控え、当時浜松・東三河フェニックスの中村和雄の勧めもありアメリカ留学を決意。
実は、中村は父と知り合いだったそう・・・
こういう巡りあわせも大事ですよね。
なんと、現NBA ゴールデンステイト・ウォリアーズに所属するケビン・デュラントやニューオーリンズ・ホーネッツなどに所属していたグレイビス・バスケスなどを輩出した
モントローズ・クリスチャン高校に進学した。
2011年には日本代表候補に選出され、同年8月のウィリアム・ジョーンズ・カップには若手選手を主体に構成された日本代表チームの一員として出場した。
また2012年6月にはNBAなどが主催するイベントBasketball Without Bordersに参加し、アジア地域における同年代のトップ選手が集まった中で、なんとMVPを獲得した。
高校卒業後はアメリカの大学進学を目指し、NCAA1部の大学からも勧誘を受けたものの、希望する学費全額免除の条件ではなかったため、進学を断念してしまった。
2012年に日本に戻り、秋田ノーザンハピネッツに入団し、プロ選手になった。
それから2014シーズンまで所属し、ついにNBA挑戦を発表。
2014年6月7日にNBAへの登竜門となるサマーリーグ参戦を目指し渡米。
ダラス・マーベリックスのサマーキャンプを経て、7月11日に、日本人としてはあの田臥勇太、川村卓也、竹内公輔に続きNBA史上4人目となる
サマーリーグのロスター入りが決まりました。
同年10月にマーベリックス傘下のテキサス・レジェンズと契約を交わし、
2014-2015シーズンは、25試合に出場し、1試合出場平均時間が8分、平均得点2.0を記録した。
その後、イタリア・セリエAのディナモ・バスケット・サッサリとプレシーズンの契約を結んだが、
レギュラーシーズンの契約は結ばないことを発表された。
そして現在所属のNBLの千葉ジェッツとの契約合意が2015年9月に発表された。
一度海外挑戦はしたものの、なかなか現実は甘くないという結果になってしまった。
NBAの再挑戦はあるのか?
2018年に千葉ジェッツとの複数年契約を決めた際、クラブの公式HPにて海外への挑戦の意思があることを示唆していたようです。
チームの契約条件に恐らくNBA挑戦に関する事項があったので、千葉ジェッツとの複数年契約を決めたとも言われています。
なので今後NBA再挑戦の可能性は大いにありそうです。
日本代表への思い
NBAの思いもそうだが、日本代表への思いも強いみたいだ。
過去に2011年と、2014年、2015年にバスケットボール男子日本代表候補に選出されたことがあり、
2014年アジア競技大会では日本代表として出場し銅メダルを獲得した。
ですが、目を見張る活躍を見せたわけではなく、まず日本でという思いが強いのかも?
まとめ
今回、MVPに選ばれ、実力的には日本トップレベルのガードと言っても過言ではない。
現在25歳でNBA再挑戦のタイムリミットは着々とちかずいていると思う。
早めのNBA再挑戦に期待しているし、
体格のハンディキャップをものともしない活躍を期待したい。
今後の動向も気にしていきたい。
コメント
コメントを投稿